観瀾亭の歴史


▲桃山時代より幾多の歴史を乗り越えて
現存する観瀾亭
観瀾亭では十五夜の頃(今年は10月2日.4日)に「月の秋in観瀾亭」(お月見会)が開催されます。そのことに関連して今回は観瀾亭の歴史をご紹介します。


この建物は、文禄2年(1593年)に、仙台藩祖政宗が豊臣秀吉から伏見桃山城の亭を賜り、その後江戸品川の仙台藩江戸屋敷に移築したもので、政宗が休憩所として使っていたものを二代藩主忠宗が全く作りを変えずに江戸から海路で運び現在の場所に建てたものです。
これを「月見御殿」と称し、その後五代藩主吉村が「観瀾亭」と命名しました。
「観瀾」とはさざなみを観るという意味です。


明治に入って荒廃していましたが、明治9年(1876年)の明治天皇行幸が決定した際に修理を行いました。
また、明治41年(1908年)には東宮の時代の大正天皇が観瀾亭で休息されました。

観瀾亭は廃藩の時に、官有となりましたが、それを明治20年(1887年)に伊達家が取り戻し、明治四十五年(一九一二)から宮城県に使用させ、昭和30年(1955年)、伊達家より松島町に寄付され現在に至ります。